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2024/04
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序章みたいなモンです。

 ――テュリス……お前は、天使と悪魔、どちらが人を救ってくれると思う?苦悩から脱却させ、富裕を享受させてくれるのは……。
 天使に決まってるわ、兄さん。
 ――そうか……なら、お前はわたしが幸せになれればいいと思っているかね?
 もちろん。
 ――お前は優しいな。だが――それは、ただのエゴにすぎない。
 え?
 ――誰かの幸せを願うことは、すなわち他者よりも優位であってほしいと願うことだ。だから、天使は誰かを幸せになんかしない。天使は公平なものだから――誰かを苦悩から救ったりはしない。神の名において、己のエゴのために人を救済することはないんだ。
 兄さん、何を言っているのか分からないわ。
――ああ、お前はまだ小さいから。難しすぎたかな。
………。
――つまり、往々にして人を苦悩から救い出そうとするのは、悪魔なんだよ。
 
 
日が暮れようとしていた。
 海に囲まれた港町、というより海上に建てられた都市という印象が強いコインブラは、ベスパニョーラ系を中心とした移民の他、開拓民たちの寄留地でもある賑やかな土地だ。
 それだけあって、コインブラの大通りは名誉と富を得んとする開拓民たちで賑わい、相も変わらず大変な盛況ぶりだった。特に夕方のこの時間帯が一番混む。買出しに来た一般住民と、開拓のための調査、障害となる怪物の除去、賊の討伐などを終えて帰路につこうとする者の時間が重なるのだ。
 通りにごった返す者たちの服装は――荒野で怪物を相手に立ち回るより、羽ペンでも持って婦人へ一筆したためているのが似合いそうな紳士然としたものから……大振りの剣を背負い、あちこちが繕われてくたびれた、獣の爪痕のような傷が残ったままの革鎧を着込んだものまで――実に多様だった。
男もいたし、女もいた。まだ十代と思しき若者もいれば、年齢相応の落ち着きを見せる壮年の男もいる。人種的混沌は、新大陸では珍しくはない。無邪気な栄光を求める者も、過去を捨てて新たな土地にやって来た、脛に傷ある者もいるだろう。
 
我々はどうなのだろう、と、テュリス・メイヤードは思った。あちらこちらの家の煙突から昇る、煮炊きの煙の混じった潮風が長い金髪を揺らす。私たちは、過去を捨てるためにやって来た、脛に傷ある者たちなのだろうか。
 「こんなところで何をしているんだ」
 横合いから声を掛けられ、テュリスは金髪を飾る白い花のコサージュを揺らしてそちらに顔を向けていた。
 痩せぎすな男だ。面長の白い顔と切れ長の眼、癖のある黒髪は理知的な額を露わにして中央から分けられ、ウェーブしながら半ば右目を隠している。長身の体に合わせて作られたシックなモスグリーンの室内着に身を包み、妹の傍らに立って眼前に広がる木立と水路、遠くに見える家々の屋根のさらに向こう、海から突き出す船の帆――それらを悠然と一望する姿は、まさしく典型的な貴族の紳士といった風情だった。
 
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 「屋根が汚れているな」男がズボンの裾を払う。
 「屋根の汚れを気にするのは、私か猫か、ウィザードの方くらいですわ、ジュスト兄さん」
 屋根の縁から足をぶらぶらさせながらのテュリスの言葉に、兄のジュスト・メイヤードは肩をすくめた。
彼は事実上、メイヤード家の現当主である。眼の下にうっすらと残る隈がかつての病の面影を感じさせるが、端正なこの男に鷹揚な仕草で目礼されれば、ほとんどの婦人は頬を染めずにはいられないだろう――故郷においてのメイヤード家の評判を知らずにいれば、の話だろうが――。
ベスパニョーラ領の故郷からコインブラのこの屋敷に移住して、二ヶ月になる。メイヤード家の屋敷は、人口が密集している都市の中では珍しく人気のない地区に建てられている。コインブラの依頼事務所や、日用品や武器防具を扱う行商人が集まる港に面した大通りに到達するには、馬車を使うほどではないもののちょっとした散歩や運動をするくらいの時間が必要だ。だが、その静寂も時間の問題だろう。日増しにコインブラを訪れる移民の数は増え、それに付随して新たな家屋の建設も急がれている。
屋敷そのものはさほど大きくはないが、きちんと整備された庭があり、正面を除いてほぼ石造りの水路に囲まれている。どこから引いてきているのやら、庭の一角に面する貯水場と井戸には川の水が流れ込んできていた。おかげで飲み水にも洗濯にも困らないが、構図としては陸から突き出された腕の先端に乗せられている水上の家、といった感じだ。
「洪水でも起きたら、コインブラでは真っ先にうちが水浸しね……」
「何だって?」
 「い、いいえ、何でもありません」
 もしそうなったら、兄が一家全員を抱えて空中へ逃れることになるのだろうか。ジュストの脇に抱えられて水の流れ込む屋敷を空から見下ろしている自分を想像し、テュリスは笑みを噛み殺しながらそう答えていた。
「何を笑っているんだか……大体、ウィザードでもないお前がなぜこんなところに座っているんだ」
 「風に当たりたい気分だったので」
 腰に両手を当てて、妹を見下ろしながらジュストがため息をつく。こういうときの兄の声音は、いつ嫁に行ってもおかしくない年頃の娘が、というニュアンスをふんだんに含んでいる。
「怪我でもしたらどうするんだ、嫁入り前の娘が。貰い手がいなくなるぞ」
テュリスは額を押さえた。半ば予想がついていた返答だ。
 「兄さんたら、そのことばかり。大丈夫ですよ、屋根から転がり落ちたりするほど鈍くはありませんから。それに、新大陸には結婚するために来たわけじゃありません」
 「いいや、いい縁談があれば受けるんだ。お祖父様のような騎士になりたいだの、家の名声を高めたいだの、お前が考えるな。どうしてお前はそんな考え方をするようになってしまったんだ?ああ、答えなくていい、どうせ帰ってくるのは屁理屈だろうからな」
 「私は結婚するつもりなんてありません。ここに移住したのも、あの土地じゃお父様の悪評のせいで大変だったからでしょう?なら、私がその名誉を回復します。この土地で名声を得て、この家を守ります」
「テュリス!いい加減にしないか」
 うんざりしたように目を逸らしたジュストが片手を振った。
 「家のことは当主であるわたしが考える。お前は小難しいことは考えなくていいんだ、いいな?あの土地を離れてせっかくここに来たんだぞ。お前は父上のことも、色々なしがらみも気にせず、結婚して幸せになる権利がある。それで十分だろうが」
 「ですから、私は結婚するつもりなんて……」
「バカを言うな。いいか、この間みたいにチンピラ相手に大立ち回りを演じて、わたしをひやひやさせるんじゃないぞ。顔に傷でもついたらどうするんだ」
 「そこまで素人じゃありませんったら!それに多少の傷がなんです?ジャックもいます。この土地に移ってきた人たちは、何かを見つけようと常に動いているんですよ、傷なんて気にしてる暇はないんです。それなのに私たちは閉じこもってばかりで――」
 「黙れ!」
 苛立ちを噴出させた兄の叱責に、テュリスはビクッと口をつぐんだ。
 「ジャックだって万能じゃない。無論お前も、わたしもな。だが、これだけはわたしにも断言できる。この土地では開拓が盛んだからといって、お前が首を突っ込んでいい理由にはならん。ここに移住した理由を、よく吟味しろ。さっきも言ったように、お前は過去のことを気にせずに生きることができるところに来たんだ」
 「でも……だって」
 尻すぼみに小さくなるテュリスの声を無視し、ジュストが屋根から一歩足を踏み出した。そこはもちろん空中で、重力に従って男の体は自由落下する……ことはなかった。
夕闇が迫る何もない空中に、重力を無視した動きでジュストの体が浮かび、整えられた芝生の地面へと緩やかに下降して着地する。先刻、妹の傍らに立ったときと同じように。
乱れを気にするかのように、癖のある黒髪が軽く指で梳かれる。
「もうすぐ夕食の時間だ。早く支度しなさい」
 言い捨て、ジュストはさっさと玄関の扉をくぐって屋敷の中へと入っていった。
 一人取り残されたテュリスは、頬を膨らませながらも立ち上がると、自分が屋根に出るのに使った開きっぱなしの窓へと歩きながら重いため息をついた。
 過去のことは気にせずに生きることができるですって?それでは我々はやはり……栄光を掴むために、父のために失った名誉を取り戻すためにこの新大陸を訪れたのではなく、逃亡の末に身を潜めるためにやって来たのだ。
 やはり私たち一家は、脛に傷ある者たちなのだろう。

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