忍者ブログ
2024/04
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



誰かの泣き声が、ずっと尾を曳いて耳の周りにまとわりついている。
何とかその声から逃れようと耳を塞ぎ続けていたが、泣き声を突き破って突如響き渡ったけたたましい哄笑は、耳を塞いでいても心を慄然とさせた。
 
氷のような酷薄さが指を刺した。
 その感触は極めて無機質なそれであり、無慈悲な冷たさにはっとして意識を取り戻すと、己の頬が濡れているのに気付いた。
 ――泣いていた?
 机の上にうつ伏せになって寝ている。折り曲げられた左腕が、顔面の下敷きになっていた。
右手に収まっていた異物を、模糊とした意識のまま何気なく指で探る。ピリッと鋭い痛みが走った――刃に指先の皮が裂かれる感覚。
 嫌な予感がして、頭を腕上から退ける。瞼を開こうとしたが、目元に何かがこびりついていた。まあ――わざわざ眼を開かずとも、今の自分の状態は予想がついたが。
 ――泣いてなんかいない。
 
IMGA5ADA5BAA5AD2-thumbnail2.jpg
 
 身じろいだのは、塞がりかかる傷口が発するひりつくようなむず痒さが耐え難かったからだ。右手を伸ばしてつい強く引っかいてしまい、脳髄を直撃するような痛苦に後悔した。
ようやく開いた瞼の下から現れた双眸が最初に捉えたのは、机の上に力なく投げ出されている、血で斑に染まった自分自身の左腕だった。
獣が鋭利な爪で切り裂いたかのような傷が再び開いてしまっている。血が玉のように膨れ上がり、赤い筋を描いて蛞蝓のように腕を伝った。何もこれが新しい傷ではない。浅黒い蚯蚓腫れのような痕だけの傷、その上からさらに、塞がってはいるがまだ痛々しい余韻を残した切り傷が無数に、歪な目盛りのように重なっている。それらを、最も新しい傷口から流れた鮮血が洗っていた。
重い頭痛と眩暈を感じつつも起き上がり、壁に掛けられた鏡の前に立つ。肩まで落ちかかる、褪せたような色の金髪。その生え際から黒い色が斑に広がっているのを眼にし、数多の感情がないまぜになった悪寒に身を震わせる。元の髪色は黒だが、戻すつもりはなかった。黒髪だった頃の自分を思い出すだけでぞっとする。
現在の己の姿も、十分ぞっとするに値した。今にも閉じてしまいそうな切れ長の瞳、血の気のない幽霊のような青白い頬……赤黒い染みが点々とついたシャツ。
ひどいなりだな。自嘲的に呟き、無理に笑おうとしたが、擦れたような吐息が漏れただけだった。室内にはすでに薄暗く、窓から差し込むオレンジ色の夕陽が闇を導きつつある。
 鏡から目を背け、背中を壁につけてずるずると床に座り込んだ。頭が重い、腕が痛い、こんな惨めな姿を誰かに見られたくない。誰のせいか?自分自身のせいに他ならない。
 きっかけがあれば変わることができるかもしれないと思っていたのに。たとえ船での長旅の果てに辿り着いたのがこの土地だとしても、このままでは前の土地にいたときの延長線上にすぎないじゃないか。自分なりに努力はしているつもりだった。だが、足りないのだろう。微々たる努力では、少しも。
何かきっかけがあれば。そう考えてすべてをうやむやにしてきたが、そんなことを思案している時点で逃げていたのだろう。
 結局のところ、どうすれば変われるかだなんて、分からないんだ。





 
PR
Admin    Write    Res
忍者ブログ [PR]