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昼食にはやや遅く、ティータイムにはまだ早い時間ゆえか、コインブラ人気の飲食店も客の姿はまばらだった。店内の扉を全開にしたオープン・カフェ風で、水路沿いにテーブルを置き、涼しげな水の流れを眺めながら軽食を摂れるカフェ・セイウチもそうだ。
その店内で、一人の少女が席についていた。胸元まである金髪を白い花のコサージュで飾った少女で、前髪は中央から分けられて白い額を露わにし、大きな青い瞳は幼さが残るが、気が強そうだ。卵形の小さな輪郭、筆で描いたような眉、兄に似て貴族的な印象を与える美しく通った鼻筋と唇。同年代の貴族の女性と比べると化粧はごく薄いが、その頬は愛らしい紅色をしている。
テュリス・メイヤード、いかにも本人だった。
テーブルクロスの敷かれたテーブルの上に頬杖をつき、ぼうと水路を流れる水を眺めていたテュリスの前に、小さく音をさせてソーサーに乗せられたカップが置かれた。立ち上る湯気に混じって、チョコレートの品のよい香りが漂ってくる。
「チョコラテ?頼んでませんよ」
顔を上げると、褐色の肌が魅力的なカフェセイウチの女主人であるリサが、微笑してテーブルの脇に立っていた。
「奢りよ。それ飲んで元気出して」
「元気がないわけじゃないんですよ。……ちょっと気力が乾物みたいに萎んでるだけで」
「それって元気がないのと同じじゃないの。さ、飲んで飲んで」
笑って手を振るリサにやがてテュリスも苦笑して、礼を言うとカップを引き寄せた。
「お兄さんはまだ許してくれないの、その、あなたが開拓民になることを」
甘さの中に微かな苦味がたゆたう熱いチョコラテを嚥下し、テュリスは伏し目がちに頷いた。
「お前がそんなことをする必要はない、の一点張りで」
「あなたがぶーたれるのも分かる気がするわ――あなた若いしねぇ」
「あら、リサさんも十分若いじゃありませんか」
「あったりまえよ。それはともかく……あたしが言ってるのはね、要するにあなたは力が有り余ってるのよ。若いときにありがちな暴れ回りたい欲求っていうか冒険心がさ」
テュリスは手の内のカップを見下ろすと、小さく息を吐いた。
「暴れ回りたい欲求か……」
そうなのだろうか。だから私は兄に反発している?
「ま、商業方面でこの地を開拓していくのも悪くはないと思うわよ」
肩をすくめるリサに、カップを置いたテュリスは頬を膨らませてみせ、それから寄り添うようにしてテーブルに立てかけてある、自身の一部と言っていい一振りの剣を見やった。
「私はこれまで、剣士になるために鍛錬してきたのに……」
黒鞘に収められたそれを手に取る。絶妙なラインを描いて湾曲しているが、荒くれの船乗りが持つ剣のように大振りで威圧的な分厚い刀身をしているわけでも、華美な装飾が施されているわけでもない。
「それがあなたの相棒ね。このへんではあまり見ない形をした剣だけど……通りにいるアデリーナさんから買ったの?」
「いえ……昔の恩師から譲ってもらったもので」
「それって、男の人?」
「はい、そうですけど」
「へえ」リサは驚いたような表情をした後なぜかくすくす笑って、「ね、鞘から抜いてみせてよ。なんていう種類の剣なの?」
「カタナですよ」
乞われるままに剣を水平にして顔の前に上げると、ゆっくりと鞘を引いて抜き放ってみせる。うわあ、とリサが口元に手をやった。
その剣は、反り返った銀色の刀身に美しい波状の模様が燻されて走っており、掲げれば冷ややかな銀月と見紛いそうで、武器というよりひとつの芸術品のような気品と趣を持ち合わせていた。振れば露滴すら飛びそうなそれは片刃で、確かにこのあたりの土地では滅多にお目にかかれるものではないだろう。
「とってもきれいだけど――何か、剣と剣との打ち合いになったらすぐに折れちゃいそうね。そういう場合はどうするの」
抜け目ない疑問をぶつけてくる女店主に、テュリスは剣の鍔元を指差してみせた。
「万一の場合はここで受けるんです。でも、なるべく打ち合いは避けて、相手の攻撃を流すのが基本ですね。汚れにもデリケートなので、結構扱うのが大変なんですよ」
「あはは、あなたも気位の高い恋人を選んだのねー」
客たちを魅了してやまない笑顔で朗々と笑うリサに、テュリスも首を傾げ、つられて微笑んでいた。まんまとリサの策略にはまったらしい――おかげで少しだけ元気が出たようだ。
「恋人……そうですね、コゼツと私はそれに近いかもしれない。憧れていた先生から頂いたものですし――あ、子供心に、強い大人に対しての純粋な憧れですよ?」
「コゼツって、その剣の名前?」
「ええ、愛称ですが。銘柄までは知らないので」
剣を鞘に収めたテュリスが頷くと、リサがまた例の意味深な笑い方をする。
「名前までつけて、そんなに大切にしてるところを見せつけられちゃあねえ。純粋な憧れだけの感情だけだったなんて――照れなくったっていいのよ?」
テュリスは口をつけようとしていたチョコラテのカップを取り落としそうになった。
「ち、違いますよ!ただ――いちばん辛い時期に色々と支えになってくれた先生だったから」
「あら、ますます怪しいわね。あなたのこと、真面目そうな子だと思ってたけど、侮れなくなってきたわ」
「り、リサさんんんんっ」
テュリスが顔を真っ赤にして椅子から立ち上がったところで、カフェの入り口から店主を呼ぶ客の声がした。リサが笑いながら、逃げるようにしてそちらへと向かう。
立ったまま一人テーブルに取り残されたテュリスは、やがて頬を染める熱を吐き出すようにため息をつくと、苦笑して腰を下ろした。
あの人に対する感情は、子供心に大人に対する純粋な憧れだけだった?そうかもしれないし――やはり、リサさんに言われた通り、私はそれ以上の感情を持ってあの人を見ていたのかもしれない。
だが、いずれにしろ今となってはどうでもいいことだし、どれだけ記憶を手繰り寄せて当時の感情を呼び起こしたとしても、すべからく無意味なことだ。もはやあの人はいないのだから……。
「はいはい、おまちどうさま――あら、あなた、久々に見たわね。元気そうでなにより」
「どーも、お久しぶり。おねーさんも相変わらずかわいいねえ」
開放的な上にそう広くない店内、やってきた客とリサのやりとりが聞こえてくる。
テュリスは思わず声のする方を眺めやっていた。どこか――聞き覚えのある声だったので。
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