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2024/05
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「……一流の剣士になりたいんならな、酒は飲んじゃいけないぜ。本人は素面と同じつもりでも、やっぱり違うんだ。気が大きくなって隙ができたり、動きが大雑把になったり、どこかしらに影響が出る。どんなにいい剣を持っていようが、どれほど凄腕の剣士だろうが、な。名誉のため、家のために剣を鈍らせたくないのなら、飲まないのが一番だ」
 荒く刈り込んだ狼の毛のような濃い茶色の髪に、左目に黒い眼帯をつけた長身の男は指を振りながら、懐から小瓶を取り出すと中の琥珀色の液体をぐっとあおった。
 言葉を失っているテュリスの前で、酒の入った瓶を掲げてみせる。師の笑顔は悪戯を成功させた子供そのものだった。
 「これか?俺はいいんだよ、酒を飲んでも。守るような名誉も家も、もうないからね。お嬢さんにはあるのかな、名誉のために酒を断つ覚悟は?」
夕陽の差し込む窓の傍に寄りかかり、メイヤード家の広大な庭を片目で眺める剣の師に、テュリスは背筋をきちんと伸ばして答えた。
「あります。元々お酒に興味はありませんし」
「ほう。今更なんだが、何が君をそこまでさせる?メイヤード家はこのあたりでも有名な貴族だ。そこのお嬢さんなら、家だの名誉にこだわらずともいい思いはできるだろ」
率直過ぎる師の問いに、テュリスは赤面して俯いた。師匠の質問に答えるということは、単なる相手の好奇心に応じるだけのようでもあり、審議官に促されて応答させられるようでもあった。
「何だか恥ずかしいです……このあたりで有名といっても、きっと父の悪評のことでしょう」
今度はどこの家の女を寝取っただとか、またどこかで揉め事を起こしただとか、きっとそんなところだろう。
「君のお父上に雇っていただいている身だが――身も蓋もない言い方をしてしまうとな、まあ、そうだ」
この屋敷に嫁いですぐに亡くなった、メイヤード家当主の本妻の血を受け継いでいるのはテュリスだけである。その兄であり、この家では長男として扱われているジュストも、実際はテュリスと半分しか血は繋がっておらず、数知れずと噂されている愛人の子供たちの一人だった。……この界隈なら誰もが知っていることだ。
なぜならば、父親本人が外界でそりの合わない息子のことを悪罵して憚らないからである。そういうわけだから、貴族仲間のみならず近隣の庶民に至るまで、ジュストの母がどんな手を使って自分の息子をメイヤード家の長男として認めさせたのか、小声で予想し合う始末だ。
なぜテュリスがそのことを知っているかといえば、パーティにでもちらと出席すれば、必ずと言っていいほどいずこかから噂する声が聞こえてくるからである(本人たちは聞こえていないと思っているのだろうが)。それはきっと、ジュストの場合も例外ではないだろう……。
「お気を悪くしないでほしいんですけど、きっとお父様は先生のお顔も、お名前すらも知らないと思いますわ。私が要求するままに世話役に剣の先生を探させただけなんですもの」声が知らず震える。「あの人は私のことなんてどうでもいいんです。ですから私、お父様の悪評のせいで失われたこの家の名誉を何とかして取り戻して、見返してやりたくて」
テュリスの言葉に、師は天井を仰いで朗々と笑った。
「ははは、なるほどな。しかし剣で取り戻したいとは、お嬢さんもその歳でなかなかの騎士道精神の持ち主でらっしゃる。メイヤード卿は商業で成功していると聞いたが」
「お父様の最大の功績は、先生のおっしゃる通り商業という場での成功ですね。領地を広げて、商売用の作物を本格的に栽培するようになったわけですから……。でも、お祖父様の代までは、れっきとした騎士の家系だったんです」
「ほう」
「先代が戦争で武勲を立てたので、領地をもらって貴族まで成り上がれたわけなんですけど……ここまで家とその名を大きくしたのは、やはりお父様の力、でしょうか」
だとしても、認めたくなかった。豊かなことはいいことだ。けれども、だからといって好き放題してよいものなのだろうか?家族をないがしろにして?その結果、家の名を汚すことになっているというのに。
師は頷くと、メイヤード家の長女である小さな少女を見下ろした。
「そっか。――お嬢さんの家族は他に、お兄さんと、あと……」
 「……もう一人、男の子が。養子なんですけど。私より一つ年上の十三歳で、徴兵から帰った兄さんが連れてきたんです。戦争孤児だとかで」
 「三年戦争か。――辛かっただろうな」
 なぜだろうか。赤の他人だというのに、ここまでプライベートなことを語ってしまうとは。この男はどこか人を惹きつける。
話術が巧みなせいなのだろうか。それともどこか風変わりだけれど、明朗快活な性格のせいなのだろうか――ずっと話し続けていたい、どこかしら関わりを持っていたい、とにかく抗い難い魅力があった。
 「……この家に来てからだいぶ経つのに、ほとんど口をきいてもくれないんですよ。お父様も、最初はあの子を息子として養子に迎えるのに反対していたんですけど、最近はどこへ行くにも彼ばかり連れ回していて……。兄さんも徴兵から帰ってきて以来、体調を崩して寝込み続けているし。伝染る病気かもしれないからって、会わせてももらえないんです」
いけない。以前のように兄に連れられて庭を散歩し、詩を読んでもらうことができなくなった寂しさが。あの少年への嫉妬が。つい口に出てしまったことにテュリスが気付いたとき――師の大きな手がそっと頭の上に乗せられた。
「……幸せなのはきっと、君の父さんだけなんだろうな。いや――ある意味全員、幸せじゃない、か」
言葉の意味を解しかねたテュリスが、眉を寄せて男の顔を見上げると、師は片方しかない瞳を細め、慰撫するかのように笑った。どこか寂しげな微笑み。
「辛かったな」
 
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