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「あら、早いお出かけね。どうしたの」
「昨日のお代を払うのを忘れていたので」
テュリスは答えながら、テーブルクロスの具合を整えているリサに硬貨を差し出していた。努めて明るく振舞おうとはしているが、その表情はこわばりがちだ。
甘い香りの漂う店内に、まだお客の姿はなかった。いつもなら胸いっぱいに吸い込みたくなる芳香が、今日はずしりと肺に重く、胸焼けにも似た感覚を覚える。
「まあ。そんなに気を遣わなくてもいいのに」
「そういうわけにはいきませんよ。それで……少しお伺いしたいことが」
「ええ、あるでしょうね。結局昨日は逃がしちゃったわけね?」焦るテュリスをなだめるように、リサが人好きのする笑みを浮かべる。「あのお客さんのことでしょ。一体あなたとどういう関係なの?もしかして――」
そこまで喋って、目の前にいる貴族の娘が俯いたまま眉を寄せ、何と説明したものかと答えあぐねている様子に、リサは慌てて付け足した。
「いや、あなたが答えたくないならいいのよ。あたしだって男とひどい別れ方をしたことなんて何度もあるし――思い出したくないわよね」
「ええ、まあ……でも、リサさんの考えは当たってると思います」
そう言ってテュリスは一息つくと、
「あの剣士の男性(ひと)、一体いつからこの町に?いつもこのお店に通っているんですか?」
少女の問いに、「とりあえず座って」と椅子を勧めてから、女店主は顎に指を当てて考えるそぶりをする。
「そうね――具体的にいつからこの町にいたかまでは知らないけど、あたしの店に顔を見せるようになったのは……ええと、四ヶ月くらい前からかしらね。フリーの傭兵みたいな仕事をしてるらしくて、最近は貨物船の用心棒をやってるそうよ。確かに腕っ節は強そうだものね」
「ええ……そうね」テュリスの声音は低かった。
「会うと楽しくてねー。話が弾むと、ついついコーヒーやカフェラテを何杯もサービスしちゃったもんよ。黙ってれば色男なのに、発想というか発言が奇抜でね」
「………」
「彼ね、本名は教えてくれなかったけど、代わりにオドボールっていう名を教えてくれたわ。最近のもっぱらの通り名なんですって」
「“オドボール”?」テュリスの声が上擦る。「へ、変人って意味?何ですか、それ」
「何を思ってそんな通り名にしてるのかしらね」
堪え切れなかったのか、リサがクスッと笑う。
「でも、確かに言い得て妙な名前だとは思ったわ。彼、本当に変わり者だから……あたし、妙に納得しちゃったもの。あたしが知ってるのは、このくらいね」
「そ、そうだったんですか……」
テュリスは額に手を当てた。やはり昨日、取り逃すべきではなかったのか。いや、兄にもうこれ以上心配をかけまいとするならば、このままなかったことにしてしまうのが一番なのか――再び、心が波立つ。
「ありがとうございます、リサさん――ごめんなさい。今日はもう帰りますね」
「いいのよ」席から立ち上がったテュリスを、店の入り口までリサが見送りに出てくれる。「その――色々あるかもしれないけど、頑張ってね」
頑張ってとは?現在私が抱えている幾多の問題に決着をつけろということ?
テュリスは戸惑いながらも、それでも何とか笑顔をカフェの店主に向けた。リサも、深く考えてテュリスにそのような言葉をかけたわけではないだろう。
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