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2024/05
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「何なんですか、オドボールって。これが本名だなんて絶対ありえませんよね。ファロウ・アリアン先生の名前も偽物なんですか?」
男は火の点いていない煙草を咥えたまま、テュリスを制するように顔の前に手をかざした。
「その名前はよしてくれ、もう使えなくなった名だ。どっちも本名なわけないだろうがよ――俺が本名を名乗れる身分だと思うのか?君も知ってるだろ」
そう言うと、唇を歪めるようにして自嘲的に笑ってみせる。二十代半ばかあるいは後半とおぼしき容姿と比べると若干不釣合いに感じてしまうような、少年の色を残した高めの声音だ。
だが、少年にしてはひどく酷薄な笑みな気がした。皮肉っぽく口角を上げるこの笑い方は、意識してというわけではなく、もはや昔からの癖なのだ。大きめの瞳も男をやや童顔気味に感じさせるのに一役買っているし、この不遜とも取れる面構えは、容姿で他人に舐めてかかられないようあえて身につけたのかもしれない。
振り返ると、向こうにいるリサが好奇に満ちた眼で、ちらちらと店の最奥の席に陣取っているこちらの様子を窺っていた。気持ちは分かる。が、声を小さくせざるを得ない。
「……もちろん知ってるけど」呟いたテュリスは素早く手を伸ばし、男の煙草を掠め取った。「煙草飲みだったとは知りませんでした。私、人前で平気で煙草をふかす人は嫌いなんです」
再び、カフェセイウチへとんぼ返りしたのだった――今、同じテーブルの向かいに座っている、男を伴って。ある程度腰を落ち着けて話せる場所といえば、ここしか思いつかなかった。
少女の指の間でへし折られる煙草を一瞥し、“オドボール”が肩をすくめる。
「君の家は、煙草や香水を扱っているんじゃなかったっけ」
「傍にいる人に気も遣えないような、モラルの欠落した人は嫌いなの。兄さんも多少は嗜むけど、私のいる前では絶対吸わないわ」
 「そうか」オドボールが頬杖をつく。「君の兄さんは息災か。……それはよかった」
 テュリスは目の前の男を睨みつけた。何が言いたいのだろう?
だが、さっきの言葉に皮肉めいたニュアンスは感じられなかった。むしろ穏やかな……いっそ、優しげな……いや、気のせいだ。
「一体、さっきは何をしようとしていたんです?」
テュリスの問いに、男はそっぽを向いてしばらく無言だったが、やがて渋い顔を上げると暗黄色のジャケットの内から一通の封筒を取り出した。
「これは?」
受け取り、訊いてみたが、オドボールは沈黙を保ったまま顎で中身を読むよう促しただけだった。戸惑いつつも糊のされていない封筒から文書を取り出し、開く。
記された文章は、そう長い内容ではなかった。
「……何ですか、これは!?」
 椅子をがたつかせて仰け反ったテュリスに、オドボールが「シッ」と唇に指を当てる。テュリスは店中の視線を一瞬にして集めてしまったことに気付き、慌てて口をつぐんだ。
 
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 「俺の雇い主が血迷ってな。俺は反対したんだが――その手紙を君の兄さんに届けるよう、逆に指名される羽目になっちまった。ふん、この歳で使い走りの先遣り男たァ、泣けてくらぁな」
 テーブルに突っ伏すように俯いたテュリスは書面と男の顔を交互に見ながら、
 「そ、それで――どうするつもりだったんですか」
 オドボールが不愉快そうにため息をつき、横を流れる水路をじっと眺める。
 「ハイハイと素直に届けるわけねえだろ、こんなもん。だからあそこにいたんだ、依頼事務所の前によ。君も見ただろ、警備兵に通告しようかと考えてたんだ」
 「で、でも」テュリスは手中の文書をグシャッと握りつぶした。「あ、あなたもこれを書いた人たちの仲間なんでしょう」
 「雇われてただけだ」
 「同じことだわ。き、キズキを誘拐しただなんて……。こんなことをする連中がいるなんて、きっとまっとうな商売じゃないんでしょう。あなたもこれを書いた連中の一味だったことなんか、あっという間にばれるに決まってるわ」
 「だからどうした」苛々したようにオドボールが右眼をこすった。「君は俺を心配しているのか?俺に報復でも望んでるのかと、この数年間ずっと思ってたが。ああ、だが君にあそこで会えたのは僥倖だった。君がそれを持っていけばいい」
 「だ、だめよ」
 「はあ、なぜ?それを君の兄さんに届けるなり、身代金を払うなり通報するなり好きな処置を取ればいい。その間に俺はどこかへ高飛びする。それとも、俺を本国に突き出すか?」
 テュリスは男の言葉に、混乱しがちだった思考がますます混濁するのを感じた。ああ、本当に――私は何を言っているのだろう?
 「……いいえ――しない。……今のところは。と、とりあえずこんなもの、兄さんに見せられないわ。ただでさえ苦労してるのに、こんなものを見たら卒倒してしまう」
 苛立ちも露わに、オドボールがトントンと人差し指でテーブルを叩く。
 「ならどうするんだ。このまま君の義理の兄貴を見殺しにするのか?」
 「そ、そんなことしません。せ、先生の力で何とかならないんですか?」
 「俺はもう、君の先生じゃない」
 低い声で返された答えに、テュリスは恨めしげに唇を引き結ぶと、男を睨め上げた。
 「じゃあ何で、こんなに私たち一家に対して世話を焼くんです?さっきは、罪を糾弾されることを覚悟で、警備兵へ通告する寸前だったんでしょう?助けてくれないのなら、素直にこの手紙を兄へ届ければよかったのに」
 オドボールは眉を寄せて、むっつりと黙り込んだままだった。その横顔が、幼い頃に羨望を込めて見つめたときとまったく変わっていないことに、テュリスは驚きを禁じえなかった。
 「……懺悔の気持ち?後悔の念?それとも、昔の生徒の私を贔屓してくれたの?」
 「――どう思おうが君の勝手だ。今回ばかりは俺も雇い主のやり方が気に食わなかっただけ……ああ、そうだな、それに、あの坊やもちょっと気になってね。あのやせっぽちが、随分立派になったな。顔はよく見えなかったが、可愛い坊やに育ってそうだ――俺みたいな人間になると、やりたいことが大体この三つに限定されるようになってね。食事、睡眠、セックスだ。分かるだろ」
 テュリスは露骨に顔をしかめ、例の皮肉っぽい笑みを浮かべる男から眼を逸らした。
 「そんなことはキズキに訊いてください。彼がいいって言えばいいんじゃないですか?――でも、すべて彼を助け出してからの話……」
 そこでテュリスは、テーブルに立てかけてあった己の剣に眼を留め、はたと思い至った。そうだ、私は何を怖気づいていたのだろう。兄さんに知られることなく、すべてを解決する方法が残されていたじゃないか。
 「……せ……い、いや、“オドボール”、お願いがあるのですが」
 「何だ。俺が連中を説得するのはまず無理だからな」
 「分かってます。ただ、この文書を書いた連中の居場所だけを教えてもらいたいんです。そのくらいはしてくれたっていいでしょう?」
 「おい……」オドボールが椅子から腰を浮かしかける。
 「いいでしょう?」
テュリスはすでにカタナを持ち、席から立っていた。
 「あなたが助けてくれない以上、私に出来るのはこれしかないもの」
 
 


 
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