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刹那、立ち尽くしていた娘の体が大きく揺らぐのを察し、オドボールが顔を上げた。
鋭い踏み込みで一気に間合いを詰めたテュリスの手元の鞘が半ばまで抜かれ、男の喉元に刃が横這いに押し付けられる。真横に剣を振りぬくだけで、いとも簡単に相手の喉笛は掻き切られてしまうだろう。
男は無抵抗だった。
「俺を殺すか、お嬢さん。血の復讐を今、この場で行ってみるか?それもいいだろう――俺は君の父親の仇だからな。君にはその権利がある。だが、あのままメイヤード卿を生かしておいたとしても、君らが幸せになれるとは俺は思えなかった」
「……それはあなたのエゴだ」
テュリスが言い捨てると、初めてオドボールの顔に苦渋らしき色が浮かんだ。
「……それもそうだな。俺のエゴだ。だが実際、メイヤード卿がいて君らは幸せだったのか?」
「……それは私たちが判断すること――あなたが推し量ることじゃない」
「もちろんそうだ。だが、事実は事実だろう?君は屋敷に一人放っておかれ、たまにいる父親に何か話しかけても、面倒くさそうにあしらわれるか、無視されるだけだ」
刃を突きつけられたまま、オドボールが口元に煙草を運んだ。殺されないとでも思っているのか?私がかつての教え子だから?
「君の兄さんは父親から明らかな殺意をもって戦地へ送られ、帰還してからは毒を飲まされていた。周りの者は、メイヤード卿のみならず子供である君らのことまで事あるごとに噂し、嘲笑っている。それでよかったのか?放っておいたら君はどこかの貴族の男と政略結婚させられ、君の兄さんは、誰にも知られぬまま実の父親に殺されていたんだぞ」
テュリスは唇を噛んだ。そうかもしれない――いくら私が剣を習い、父を見返したいと息巻いたところで、実際父に逆らうことなど不可能だったのだ。どのような形であれ、親とは子のすべてなのだから。親のすることに意見するどころか、習い事をしたいと世話役に父に伝えてくれるよう言付けるのすら、わけもなく怯えて時間を要したではないか。
そして――かつては師だったこの男の言う通り、父がいなくなってから、屋敷内に立ち込めていた空気が軽くなったのもまた事実だ。兄は病床から脱し、私は父の顔色を窺うこともなく、自由に振舞えるようになった。我侭が過ぎるほどに。
だが、それでも認めるわけにはいかない。剣士としての筋が通らない。
「……確かに、父はひどい人間だった」
コゼツを構えた手を微塵も動かさず、独白するかのようにテュリスは言った。
「知らない女を屋敷に連れ帰るなんていつものことだし、せっかく兄さんが取り寄せたり作ったりした本や物を、文句をつけて目の前で破いたり燃やしたりなんてしょっちゅうだったわ。……私は相手にすらされなかった。兄さんのように父に意見したり、逆らうこともしなかったから。私がまだ小さい頃、母を殴りつけていた父が恐ろしかったから」
「――だから強くなりたかったのか?父親に一目置いてもらいたくて?それとも、父親から身を守りたかった?」
「分からない……両方かもしれない。――でも、お父様にもきっといいところはあったはずよ。お父様は、キズキだけはいつもどこかに連れて行ったり、一緒の部屋で過ごしたり、彼のことだけはとても可愛がっていたもの」
そう――なぜ彼だけを?兄さんが家族にしたいと屋敷に連れてきたときは、すさまじい剣幕で反対していたのに。そのうちに、手の平を返したように……。
オドボールの、煙草を咥えた唇が歪んだ。いつも飄々とした彼らしくない、どんな表情をすべきか、決めあぐねているかのような。
「……君は本当に、あの坊やがメイヤード卿に可愛がられていたと思うのか?」
「何ですって?」
「あの頃の坊やの姿を思い返してみろよ。家族だったんだろう?顔色はひどかったし、尋常じゃない痩せ方をしていた。一目で様子がおかしいのは分かったはずだ」
剣を持つ手がおののいた。
「そ、そんな……だって、私はあの頃は色々習い事をしていて忙しかったし、彼も話しかけてこようとしないから……」
嘆ずるように紫煙を吐き出したオドボールが、厳しい口調でテュリスを遮る。
「それはちょっとひどいんじゃねえのか。いくらなんでも、数年間も気付かないなんて。余所者の俺が一目でおかしいと感じたことだぜ」
「それは……だって」
オドボールの瞳に陰が落ちた。
「……気付かないふりをしていただけじゃないのか」
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