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2024/05
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 二人がやって来たのは、ニムロッド橋より少し奥の道端から伸びた、小さな石造りの階段を下った先にある開けた場所だ。横手に橋を眺めやることができ、周りを柵によって円状に囲まれている。その先は行き止まりで、周囲を見回すとまるで夕陽を仰ぐかのような位置に簡素な十字架が立てられていた。まだ瑞々しさを残す花で編まれた輪が十字架の頭に掛けられており、定期的に誰かが訪れていることを示しているが、今はどこにも人の気配はなかった。
 「まあ、ここなら安全だし、邪魔も入らないんじゃないのか」
 オドボールが柵に手をつき、橋の向こうに聳えるコインブラの城壁を眺めやる。
 「……そうですね」
 ドレスの胸の前に黒鞘の剣を抱えたテュリスが低く答えると、オドボールは指の間に煙草を挟んだ手を軽く振って応じた。火は点いていない。
 「本当に美人になったな。そのドレス、似合ってるぜ。それで――何から話せばいいのかな、俺としては」
 オドボールは首を傾けると、テュリスに顔を向けて柵の上に腰を下ろした。
 つかの間、テュリスは瞼を閉ざしていた。変わらないその声。人を食ったような物言いも、驚くべきことにその容姿すらも、何もかも……。
 
 あのとき、テュリスは何かの用事で父の部屋を訪ねていた。何の用事だったかは覚えていない。しかし、普段は父が怖くて習い事一つ増やすにもなかなか言い出せなかったテュリスが、意を決してその部屋の扉を開いたということは、それだけ大切な目的があったのだろう。
 書斎に父はいなかった。出掛けてしまったのだろうかと思っていると、書斎と繋がっている寝室のドアの方から物音が聞こえ、なぜだかひどく恐ろしくなったのを覚えている。
 そうだ。それで、テュリスは寝室のドアノブに手をかけ、ゆっくりと捻った。扉はごく静かに開いたが、中にいた者にとってはその微かな空気の乱れだけで気配を察知するには十分だっただろう。
 カーテンが閉められ、すでに薄暗くなり始めた外に比例して闇が満ちている寝室内には、明らかに父とは違う長身の男が立っていた。
 「君か……どうやって入った?」
 左目には眼帯、短く刈り込んだ狼の毛のようなダークブラウンの髪。その服の袖口には、黒っぽいものがべっとりとこびりついていた。
 「いや――それは、愚問だな。まさか君に見られるとは」
 テュリスはノブを握ったまま、何も言えなかった。目の前の男に自分が殺されるとは思わなかったのだろうか?ついぞ思わなかった。なぜならテュリスは、彼のお気に入りの生徒のはずだったから。
 「……さようなら」
 そう呟いて寝室の窓の縁に脚をかけた男は、あの皮肉げな、それでいてどことなく寂しそうな笑みを浮かべると、さっと窓から外へ身を翻した。ここは二階だ。侵入したのと同じ経路で逃げ出したに違いない。
 テュリスはしばらく絨毯の上に突っ立ったままでいたが、やがて泥沼を渡るような足取りで一歩一歩、寝室の中を進んだ。
 ベッドの脇に立つ。その上には、テュリスの父、メイヤード家当主が、服がはち切れそうなほど肥えた身体をシーツの上に横たえていた。
娘のすぐ目の前に仰向けに倒れているその肥満体の胸には、短剣が根元まで突き立っている。湧き上がる赤黒い濁った血がドレープ入りの白いシャツに黒々と広がり、背中側からも、大量の血が蠢くようにしてシーツに滲み出つつあった。
眼窩は目玉が飛び出しそうなほど大きく見開かれていたが、刺殺された人間にしては比較的穏やかな死に顔だったかもしれない。きっと一瞬のうちに刺し殺されたのだ。あまりに鮮やかに。
 それからは、あまりよく覚えていない。その場にへたり込み、ヒステリックな怒鳴り声と悲鳴が混じりあう中、誰かに肩を揺さぶられていたのをおぼろげながらも記憶している。
 メイヤード卿の遺体は検死の結果、背と胸の二箇所に深い傷があるのが発見された。まず背後から忍び寄られて刺され、驚いて振り返った際に今度は胸を刺されて死に至ったのではないか、とのことだった。
部屋からは指輪などの金品類が持ち出されており、強盗目的で忍び込んだ物取りの犯行だろうと言われた。
 
 不謹慎にも、父の胸から濁流のように溢れていた血潮を見て、何て汚いのだろうと思ってしまった。血とは、あれほど醜く淀むことができるものなのかと。
そう……あれは血なんかじゃない。きっと、この世の悪徳すべてだったのだ。暴食、姦淫、強欲――大罪として糾弾されるすべてのものが交じり合い、あのときまさに汚濁となって父の胸から流れ出していたのだ。
では、娘である私の血は一体どうなっているのだろう……なぜ、父を刺した男を、知らない人間だったと答えてしまったのだろうか?
――なぜ?
 
 
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