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キズキが捕らえられていたところは、まさに海の真上だった。聳え立つ崖の陰に隠れるように碇泊された古ぼけた船をあの男たちは根城にして、その一室に彼を押し込めていたのだ。いざというときは海原に逃げ出せばいいわけだから、利にかなったアジトだと言えよう――もう、その船を操る首領はいなくなったわけだが。
「銃を……」
逃げるようにしてジザベル峡谷を抜け、もうしばらく歩けばコインブラへ帰れるというところで、キズキがぼそりと呟いた。
「ん?」
オドボールが立ち止まる。いつもと変わらぬ陰気そうな表情で、キズキが男に言った。
「返してほしい。……俺のなんだ」
「ああ、これか」オドボールがジャケットの内からあの拳銃を抜き出す。「途中の部屋で、連中にしてはいいもん持ってると思って拝借したんだ。坊やから取り上げたやつだったんだな」
グリップをキズキの方に向け、銃を差し出しながら笑う。その口調はどこか痛ましげだ。
テュリスは二人のやりとりを見つめていた。ジャックの言によれば背負っていたはずの鞄もないところを見ると、キズキはほとんどすべての荷物を奪われてしまったのだろう。着ていたはずの上着も剥ぎ取られて薄手の白いシャツ一枚を羽織るのみだし、殴られたのか前髪が落ちかかる白い額には紫色の痣が見え隠れしている。肌が青白いせいか、ぎょっとするほど鮮やかな痕だ。
「いい銃だ。大切にしてやりな」
従順に拳銃を受け取るキズキを眺めながら、テュリスは複雑な思いに捉われていた。
無事にキズキを助け出すことはできた。さしあたって、兄のジュストを極端に心配させるような危機は脱しただろう。さあ、これからどうしよう?オドボールを――かつての師を前にしているというのに。このままそれじゃあさようならと別れられるはずがない。
無事にキズキを助け出すことはできた。さしあたって、兄のジュストを極端に心配させるような危機は脱しただろう。さあ、これからどうしよう?オドボールを――かつての師を前にしているというのに。このままそれじゃあさようならと別れられるはずがない。
「……あんたを知ってる」
リボルバーを腰のホルスターに戻しながら、キズキが伏し目がちに言った。テュリスは驚いて彼を、次いでオドボールの顔を見たが、“変人”は薄い笑みを唇に描いたまま、「そうか」と返したきりだった。
いや……そうおかしなことでもないかもしれない。オドボールは――あの頃はそんな名前ではなかったが――前の土地ではメイヤードの屋敷に堂々と出入りしていた。その頃すでにキズキは家にいたし、どこかで顔を合わせていてもおかしくはないはずなのだ。それにしても、こと他人について関心がなさそうなキズキが、昔雇われていたテュリスの講師の顔などよく覚えていたものだ……。
「……ねえ、朝早く、裏門から屋敷を抜け出したって本当?それも荷物を抱えて」
思わずテュリスが言葉を口にすると、キズキがぎょっとしたようにこちらを振り返った。まさか、使用人のジャックに目撃されていたとは気が付かなかったのだろう。
「どこへ行くとか、誰にも告げずに出てきたんでしょう。家出でもするつもりだったの」
「……うるさいな。君には関係ないじゃないか」
いかにも忌々しげに言い返され、テュリスはむっとして彼に詰め寄った。
「関係なくないよ。兄さんが知ったら、きっと心配するわ。昨日怒られたばかりじゃないの――それに、まさか脅迫状のネタにされるなんて」
「おいおいお嬢さん、坊やも好きで人質になったわけじゃないんだ。お前さんの提案通りちゃんと助け出したことだし、もういいだろ」
執り成すようにオドボールが二人の間に割って入ろうとしたが、テュリスに睨まれて口をつぐむ。
「よくない!みんなが心配するってことくらい想像がつくくせに、どうしてこんな行動ばっかり取るのよ!」
責められても、キズキはテュリスではなくその足元を見ていた。
けして眼を合わせようとしないのだ、彼は。どんなときでも。
「……心配してくれだなんて頼んでないし、今回のことだって助けてくれだなんて一言も言ってない。全部君たちが勝手に騒いでることじゃないか」
家族だというのに何という物言いだろう。まるで赤の他人に対するような言葉……いや、彼とは実際、血など繋がっていない。家族だと思っているのは私たちだけで、もしや彼は我々を家族などとは考えてはいない……?
唖然としているテュリスを無視し、キズキが脇を過ぎて歩いていこうとした。
「ま、待ってよ、どこに行くの」
我に返ったテュリスは咄嗟に彼の腕を掴んだが、物凄い力で振り払われた。
「うるさい!ずっと君は俺のことなんか見て見ぬふりだったじゃないか、今更心配の真似事なんかするな!」
そう言い放つと、顔を背けたキズキは憤然とニムロッド橋の方角へ一人で歩いていってしまった。みるみるうちにその背が遠くなる。
後を追うことはできなかった――追ったとしても、彼は拒絶しただろう。
「頑張ったつもりだったのに……何がいけなかったのかしら」
力なくうなだれたテュリスの頭に、オドボールの広い手が乗せられた。懐かしい感覚。
ふいに涙がこみ上げてきそうになり、テュリスは唇を噛んだ。
「先生――私は一体どうすればいいの?」
しばしの沈黙の後、オドボールが言った。
「……少し、話をしようか。君も、俺に言いたいことが山ほどあるだろう?」
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